十秒を、何度も払う
たとえば、メモの先頭に毎回同じ見出しを入れているとする。日付を書き、題名を書き、空行を二つ置く。一回なら十秒ほどで終わる。困っていると言うには小さすぎるし、誰かに改善を頼むほどでもない。
けれど、書きたいことが浮かんだときに、まずその十秒を払う。うっかり日付を間違える。昨日の見出しをコピーして、直し忘れる。少しずつ、書く前に別の用事が増えていく。
こういう場面に、小さな道具が欲しくなる。生活全部を管理するサービスではなく、この十秒だけを引き受けてくれるもの。AIにコードを頼む入口として、私はそんな不便を考えてみたい。
欲しいものを、動作の言葉にする
「便利なメモアプリを作って」と頼むと、何を便利と呼ぶのかが空白のままになる。立派な画面ができても、書き始める前の手間は残るかもしれない。
もう少し小さく言ってみる。「題名を入れたら、今日の日付と決まった三つの見出しを並べてほしい。できた文章は、自分でコピーして使いたい」。これなら、何が起きれば完成なのかを私にも確かめられる。
さらに考える。日付は作成日でいいのか。深夜に昨日の日記を書くことはないか。空の題名を許すか。使うのはPCだけか、スマートフォンでも使いたいか。
AIにコードを書いてもらう前に、自分の習慣を説明する仕事が生まれる。「いつも適当にやっている」が、実は何通りもの判断でできていると気づく。そこを言葉にするところから、もう道具作りは始まっている。
最初の一個は、少し物足りなくていい
動くものができると、追加したい機能が思いつく。過去のメモを一覧にしたい。タグを付けたい。別の端末でも使いたい。せっかくだから予定表ともつなぎたい。
その気持ちは分かる。でも、最初に欲しかったのは見出しを並べる道具だった。機能を増やすほど、確認することも増える。保存先はどこか。失敗したらどうなるか。昨日の文章まで変えてしまうことはないか。
初めの一個は、文字を作って画面に出すだけでよさそうだ。保存するかどうかは自分で決める。出来上がった文章を目で見て、気に入らなければ捨てられる。そのくらいの小ささなら、思いついたことを試す気になれる。
「もっとできる」は、あとで考えても遅くない。まず一週間、欲しかった動作だけで使ってみるつもりになる。作っているときには見えなかった不便が、使う側へ戻ると見つかるはずだ。
読めないコードと、確かめられる動作
コードをすべて理解できないとしても、頼んだことができたかは確かめられる。短い題名と長い題名を入れる。空欄のまま試す。日本語の括弧や記号を入れる。日付を変えてみる。
普通に使って一度動いた、だけでは分からないことがある。だから、自分がやりそうな失敗も渡してみる。そこで変な結果になったら、何を入れて、何が出たかをAIに伝える。「壊れた」より、その二つがある方が話を進めやすい。
大事なのは、分からないことを成功という言葉で覆わないことだと思う。ファイルを書き換える機能を足すなら、どれを変更するのかを先に画面へ出してほしい。元に戻せる形も欲しい。その注文は、専門用語を知らなくても出せる。
作る速度が上がっても、確かめたいことまで消えるわけではない。むしろ私の側で、何をもって「できた」とするかを持っておく必要がある。
自分の机にだけ合う形
この道具を他人に見せたら、既存のアプリで十分だと言われるかもしれない。その通りかもしれない。機能の数を比べれば、あちらの方がずっと多いだろう。
でも、机の上の道具には、自分の手順とぴったり合うよさがある。使わない欄がない。普段使う順番で並んでいる。自分にとって意味のある名前が付いている。それだけで、触るたびに少し考えていたことが減る。
AIにコードを書いてもらう面白さの一つは、この個人的な都合を形にできるところにあると思う。大勢に説明できる課題でなくてもいい。「私はここで毎回迷う」が、作り始める理由になる。
もちろん、作る時間の方が十秒の節約より長い場合もある。それでも、自分の手順を見直し、使う道具を調整できると分かることには、別の楽しさがある。
できた道具の、次の仕事
見出しを並べる道具ができたら、次はメモを書く。そこが始まりだったことを忘れたくない。設定を磨き続けるうちに、書こうとしていた話を忘れてしまったら少し惜しい。
AIにもう一つ頼みたい機能が浮かんでも、今日は閉じてみる。用意された空行に、自分の文章を入れる。
小さな道具がよく働いているとき、その存在を意識する時間は短い。日付も見出しも、もうそこにある。あとは、書きたかった一行から始めればいい。



